イイね雑記

モブキャラのメガネくんが新卒2年目で中国に飛ばされた話(人生のターニングポイント)

 誰しも人生においていくつかターニングポイントがあると思います。
 私はその一つが社会人2年目で突然「中国に出向しろ」という会社命令が出た時でした。

 その時どんな判断をして、結果どうなったのか。

 中国に行くことになった始まりの話を書いています。
 結局その後、20年間中国と日本を行ったり来たりする生活を送ることになったのですが・・。

2021年3月 10年パスポート2冊目の期限が切れました~20年前の話

 趣味はゲームと映画。

 高校時代バイトはしてましたが、ほぼひきこり。
 週にレンタルビデオ10本借りて映画を見ているようなオタク系男子でした。

 “ザ・モブキャラ” ”普通オブ普通” ”リアル野比のび太”

 映像制作を学びたくて、コンピューター系の専門学校に通う。

 それから2年、2001年就活の年。

 バブル崩壊後の就職氷河期真っ只中、大阪出身なので当時USJが開業の年で大量の社員を募集していたのですが、私は”自然気胸”を発病していたのでろくに就職活動もしないまま、あまり深く考えず、病院で見た新聞の募集記事に掲載されていた小さなノベルティ会社に履歴書を送りました。退院後面接に行き、運よくノベルティのデザインや企画の仕事で採用していただきました。

両方の肺に穴が開いてダークサイドに落ちた話(自然気胸の体験談)気胸は別名”イケメン病”とも呼ばれ、若いやせ型の男性になりやすい病気で、再発も起こりやすい病気です。 今現在気胸で治療中の方や、再発する不安に悩んでいる方もいらしゃると思うので、私の経験を参考にしていただければと思います。...

 なぜか勤務先が”東京”

 新卒1年目、大阪の隅っこで育った田舎者かつ”普通オブ普通”のメガネくんだったのですが それでもTOKYOという響きには憧れがあり、友人にドヤ顔で「東京で採用されたわ!」と言いふらしていたと思います。

 頭の中にはシャランQの「上京物語」が流れいました←時代を感じるお花畑

 会社が東京の「入谷」に有ったので、あまり下調べもせず隣駅の「三ノ輪」に1kの安アパートを借りて初めての一人暮らし、後々分かった事ですが遊郭の街「吉原」の近くでした。お金もなかったので、毎日チャリ通、99円ショップの大学芋で飢えをしのぐ日々。

それから1年間 ほぼ使い物にならないダメ社会人を過ごす

 社会人1年目あるあるですが、根拠もない自信で自分は仕事が出来ると勘違いし、ろくに勉強もせず過ごしていたので。毎日怒られる。ぎっしり机を置いて社員7人がちょうど座れるぐらいの小さな事務所。

 新入社員は自分ひとり。

 事務所内は少数精鋭という感じで、金髪でヒッピーのようなベテランデザイナーや、英語ペラペラ帰国子女のやり手営業マン、社長秘書のように阿吽の呼吸ですべてをこなすOL。

 そんな方々に紛れて、何のとりえもないちょっとイラレが使える程度の、新卒1年目大阪の”陰キャ”が通用するはずもなく、毎日社会の厳しさを叩き込まれる日々。

 謎に教育と称して「炭酸飲料を毎日買ってこい」とお駄賃をもらい、パシリもさせられていましたが それでも何の役にも立っていない自覚はあったので文句も言えず、その日の気分に合わない味だっだ時はまた怒られる。

 今思えばパワハラですが、逆の立場だったら仕事も出来ない新人に少しでも会社に溶け込ませようとしてくれた、愛の鞭だったようにも思います。

 それでもプライベートではかわいがってもらい、よく先輩方にご飯を奢ってもらったり、飲み会に誘ってもらったりしながらも、毎回説教受け続けていました。

 「自分ってなんでこんなダメなんだろう」「デザインとか企画の仕事は向いてなー」と思いながら悶々とした1年過ごしていた。

 その年の冬のある日。

 いつものように飲み会に誘ってもらい、説教されていた流れの中で。
 ”このまま仕事しててもお前も楽しくないだろう” ”環境を変えて心機一転頑張ってみろ”的な話が始まり「ん?オレ どっか飛ばされる?」と感じた矢先
 ”上海ではちゃんと通訳と家用意するから大丈夫”

「しゃ しゃ 上海!?(゜_゜)」

 この時、大阪から社長も来ていました、どうやら当時ノベルティ製品の生産委託をしていた上海の貿易会社が、いまいち管理が悪く品質が安定しない為、誰か現地に駐在し直接現場の管理をさせようと考えていたようです。その白羽の矢がなぜか新卒1年目の私にぶっ刺さったのです。

 おそらく会社的にも初の試みで、”人柱”的に誰でも良いから実績をつくりたかったのでしょう。さすがに仕事のできない社会人1年目の新入社員でも。

 これはもう”行く”か”辞める”かの2択だな、という事はさとりました。

 その時点では海外旅行なんて一度も行ったことがなく、当然パスポートもありません。

 中国なんて全く興味なく生きていたので、イメージとしては「ジャッキーチェン」「ウォンカーウェイ」「サモハンキンポー」ぐらい←これ全部香港人です!

 この時に考えていた事
・自分でも今の仕事はあまり向いていないと感じていた
・仕事を辞めたとしても何ができる?
・不安だけど死ぬほどの事ではない
・良くはわからないけど面白そう
・環境を変えて心機一転頑張ってみたい←先輩の洗脳

 飲み会の時に散々先輩から「お前は若いんだから今行った方がいい」といわれ続けていたのもあり、思考回路の単純な二十歳そこそこの若造は、一晩考えた結果。

 ”自分の人生でこんなチャンンスは2度とない”としっかり洗脳され、行く事を決心。←若いって怖いですね~

 それからはあれよあれよという感じで、パスポートを取得、東京の家を引き払い、東京にも少しできていた友達に別れを告げー「オレ、ちょっと上海行ってくる」みたいにいきっていたと思います。←デジャヴュ?実際は仕事が出来なくて飛ばされただけ

 実家の両親や、家族、友達にも状況を伝えて、とんとん拍子に上海へ行く事が進んて行きました。今思えば、良く両親は止めなかったな。

 今となっては上海は結構都会で、中国の情報も入って来るようになり、大体どんなところかイメージも出来ますが、当時はまだそこまで情報も少なく、イメージも良くなかったと思います。

 のちに父親にこの時どう考えていたか聞いた事があります。
父親も昔仕事を辞めて、ブラジルに農業をしに行こうと考えた事があったらしいのですが、すぐ親に反対されて諦めた経緯があったようです。
それを後悔した経験から、僕には「好きな事をやらせたかった」と話していました。

 理解のある親でよかった。

初の飛行機搭乗が上海へ転勤

 2002年の春、21歳、社会人2年目、最初は大阪の社長と一緒に2人で行きます。

 現地に着くと香港人の陽気なおじさん(さらに太ったエリック・ツァン)
映画.com エリック・ツァン

 台湾人の小さなおじさん(メガネをかけた小さなチョウ・ユンファ)
映画.comチョウ・ユンファ

 この2人が上海浦東空港に迎えに来てくれて、車で市内に連れられました。
この二人が現地の会社の社長なのですが、香港人はブローカーで日本の会社と取引している仲介業者(日本の社長と仲良し)←めちゃあやしい

 実際仕事の手配や生産をしているのは、台湾人の小さなおじさんで、それぞれ別会社の社長でした。

 私がお世話になるのは、台湾人社長”小さなチョウユンファ”の方

 上海市のはずれ「锦江乐园Jǐnjiāng lèyuán」という遊園地の近くのオフィスビルの一室に社員10名程度がいる事務所に案内されました。
Trip.com锦江乐园

 事務所には台湾人の社長、社長の奥さん、奥さんの従弟、妹、等々ファミリーで固められ、ほかの社員もみな自分と同じ年ぐらいの若い社員で構成されていました。

 中国でよくある構図なのですが、小さなオーナー企業の場合、あからさまに家族が社員の中核に位置し、ほかの社員はそこまで重要なポジションについていないような場合があります。

 今では少ないかもしれないですが、おそらく信用問題もあり、血縁関係で固める事で無責任に仕事をさせないようにし、社長の意見を文句言わずこなすので、業務が安定するというメリットが有るんだと思います。

 私はそこの一角に机を用意してもらい、これからここに通い、彼らに日本からきたノベルティ関係の仕事を依頼し、生産管理をする事が業務内容でした。
 私が来ることを想定して、日本語のできる通訳を雇ってくれていました。

 その通訳の方は、中国の大学で日本語を勉強し新卒で採用された若い女性で、当時の私は中国語の「ちゅ」の字も勉強しないまま行ったので、会話するためにはその通訳の方を介してしか話が出来ませんでした。
 よくよく考えると、日本にも行ったことがない、学校で勉強しただけの日本語で、よく通訳やってくれていたなと思います。

 しばらくすると社長も帰国。

 ”日本人は事務所に私一人”

 他の方も中国の貿易会社の方なので、同じ会社の人ではなく、全員別会社の中国人の中にポツンと一人。

 こうして新卒2年目のモブキャラメガネくんが次元をゆがめて”上海に爆誕”しました。

 当時は今のようにスマやiPodもなかったので、”MD”にキックザカンクルーのアルバム「VITALIZER」を入れて毎日のように聞いていました。今でもこれを聞くと当時を思い出します”


 Oh! Ah! It’s not over

 次の季節が見つかろうが
 そうだ 行ったろうか
 Here we go now
 Here we go now♪

 何一つ成し遂げていないのに、ただ一人で上海生活しているというだけの自分に「俺スゲー」みたいに勘違していたのもこの時期です。

 

 この約2年後会社をクビになるとも知らないで・・

メガネ
メガネ
話が長くなってしまったので、ひとまずここまでにして、続きはまた改めて書いていきたいと思います。

 ちなみにこんな私でも、今は中国語も話せるようになり、会社は変わりましたが仕事でもそれなりに貢献できる力は身についています。

この文章が、現在仕事で悩んでいる方や、環境に不満のある方、人生のターニングポイントに立っている方の少しでも参考になればと思います。

とりあえず何か壁にぶち当たっても”死ぬほどの事ではない”と考えて行動しています。

って、全然参考にならないか(^-^;

思い出のキックザカンクルーNEWアルバム↓

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